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地域の宝−曼陀羅尊の御開帳−


曼陀羅尊に食い入るように拝観する人々

歴史と宗教に触れて

 「ヒボの曼陀羅寺の御開帳」。筆者には子供の頃から耳にしていた懐かしい言葉である。御開帳とは何なのかは当時子供であった筆者には全く分からず、ただ友達と連れ立ってぞろぞろと古知野から遠く飛保の曼陀羅寺まで歩いていったものである。門前の縁日が目当てだったのであろう。近隣から集まってくる大勢の人々の雑踏とともに懐かしく思い出される。

 その曼陀羅寺の御開帳が今日平成18年4月7日に行われた。

 重文「観経曼陀羅尊」、今世紀初の御開帳(25年に一度、今回は28年目)。10時の第1回の御開帳に合わせて大勢の参拝者で本堂はぎっしりすし詰め状態となった。本堂での法要に参列した後、いよいよ曼陀羅尊の拝観。

 曼陀羅尊の安置してある曼陀羅堂は、正堂のすぐ左側にあって130年前に再建された建物である。数十人しか入れない小さなお堂、順番に拝観。曼陀羅尊の前の薄い幕が上に開けられると、そこには曼陀羅尊が出現。拝観の人々は、お坊さんの唱えるお経を耳にしながら、手を合わせて拝んだ。その後、許されて曼陀羅尊の前に足を運び、食い入るように眺めた。25年毎の御開帳、もう二度と拝めないかもしれない、見納めとばかりに。

 この度の御開帳の曼陀羅尊には、今から1200年ほど前、右大臣藤原豊成郷の息女中将姫にまつわる言い伝えがある。このことは、曼陀羅堂でのお坊さんの話にもあり、また関山和夫先生(佛教大学名誉教授)のお話の中にもあった。以下に概略を記しておきたい。

 中将姫は、幼少の頃より継母のもとで冷たい家庭に育ち、長じて一家一門が平和な生活と、家門の繁栄を念じて麗しい信仰に精進。姫はお経に説かれている極楽浄土の姿をこの眼で拝することができたらわが身は勿論、後の世の人々も如何ばかり幸福であろうと思い、一心にその願望の成就を念じられた。姫が17歳の折、阿弥陀如来と観音菩薩が織姫となって現れ、姫を助けて蓮の茎で織り現されたのが、この曼陀羅と言われている。光り輝く曼陀羅。何だろうと周辺の人々が集まってきた。たどり着くと曼陀羅であった。

 この尊像を拝する人は幸福を得ると言われ、25年ごとに大開帳が催されて幾万人もの善男善女が訪れた。この度の28年ぶりの御開帳も然り。曼陀羅尊のご参拝に訪れる人は、近隣からは勿論のこと、遠く京都をはじめ各地からバスを仕立てて訪れる人々までいる。

 一宮、尾西、尾張地方が織物王国として栄えたのは、この地方に末寺をもつ中将姫に機縁する由縁であろう。

 なお、曼陀羅寺は以前は円福寺と称されていた。曼陀羅の出現により寺号を曼陀羅寺と改称し、今日に及んでいる。
(安藤)
本堂での受付 本堂での法要 大広間での関山先生のお話