
パネルディスカッション(熱田青年の家)
藤沢周平は、「三屋清左衛門残日録」の中で、隠居後の清左衛門にこう言わせている。「日残りて昏るるに未だ遠し…」。これは、嫁の里江が隠居所を訪れた時、日記の題「残日録」を目にしての感想、「いま少しおにぎやかな名前でも良かったのでは…」に答えたものである。 隠居するとは、世の中から一歩退くだけ、軽く考えていた清左衛門、実際には、それまでの生き方、暮らし方と習慣のすべてを一変させてしまうことであった。家督を譲り、離れに起臥する隠居の身となった清左衛門は、日記を記すことを自らに課したのである。それが残日録である。そこには、老いゆく日々の命の輝きが…。
この本は、4,5年前に手にしたものである。忘れていた本をあるきっかけで突然思い出すことになった。12月に入ってからのことである。
清左衛門と同じように、私も、一線を退き、隠居の身となってもう数年が経過した。 これといったことに打ち込むこともなく、ボランティアらしきことを、求められるままにあれこれしてきた。それらとももうそろそろ縁を切り、悠々自適の暮らしをと思うようになった。 そんな思いの時に、またまた人様の前でまとまった話をする仕事(?)が飛び込んできた。引き受けることを固辞したものの、成り行きで引き受けざるを得なかった。これを最後に、そんな思いで引き受けた。 一つは、名古屋の「青年の家」主催のパネルディスカッションでのパネリスト、もう一つは瀬戸市のS小学校での全校児童への講話。
12月3日、「熱田青年の家」でのパネルディスカッションを無事終え、帰りの地下鉄の駅構内でのこと。駅構内は大勢の人で混み合っていた。見知らぬ若い女性二人がにこっとして私の方に顔を向けるではないか。こんなところで、しかも若い女性?「先程はありがとうございました」、な〜んだ、さっきのパネルディスカッションの参加者か。それ以上言葉を交わすこともなく、さらに進んで空いていたベンチに腰を下ろした。隣りの席の若い青年から声をかけられた。「今日の会は、どうしようかと思っていたが、参加して良かった!」。同じくパネルディスカッションの参加者であった。 私の発言をどう受けとめたのか、それはわからないが、声をかけてくれたのだから、聞いてはくれていたのだろう、多少は印象に残ったのであろう、と勝手に思った。そう思うと充実感とまではいかないが、ほっとした気持ちになった。心が和んだ。いつもなら見知らぬ人ばかりで目もくれないですれ違うだけの無味乾燥な地下鉄の雑踏の中。そこで声をかけられ、何かほっとしたものを感じ、人間のぬくもりを覚えた。参加して良かった、私も思った。 金山駅から乗った帰りの電車の中で、4,5年前に読んですっかり忘れていた「三屋清左衛門残日録」をなぜかふと思い出した。
小学校での講話。12月7日。 全校児童200人足らずの学校である。ドーナツ化現象、少子化の波の煽りか、児童数は1/5ほどになってしまった。子どもたちは、空き教室を3教室ほどぶち抜いた多目的ホールに腰を下ろして待っていた。先生たちの気遣いであろう、みんな静かに行儀が良い。
さて、その子たちとの45分間。与えられたテーマは「みんなのたいせつないのち」。 聞き手は、1年生から6年生。ひきつけて話すのは難しい。何とか最後まで厭きずに付き合ってくれた。手を振りながら、さようなら、さようなら、子どもたちの声に見送られながら会場を後にした。
無事終わり、ほっとして校長室に入る。校長先生からは「私たちが話すとお説教調になってしまう、子どもへの話し方の勉強になった」とお世辞を言われ、恐縮。校長先生は、この3月、めでたくハッピーリタイア。ウン年前のわが身を思い出す。読売新聞の記者が取材に来ていたので、掲載されたら送りましょう、と言ってくださった。 これまた、わずかな一時ではあったが、見知らぬ土地の見知らぬ子たちとの一時を共有できて、引き受けてよかった、と心の中で思った。
何十年ぶりかの瀬戸電に揺られながら家路に着く。四日前の金山からの帰りと同じ思いを抱いた。今回もなぜか「三屋清左衛門残日録」を思い出しながら…。
(安藤)
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