
延光寺梵鐘を背負った赤亀
中村市に入ると、日本最後の清流といわれる四万十川を渡る事になるのだが、有名な渡し舟は老朽化のため平成17年の12月に廃止されたとの事、情緒の有る渡し舟と聞いていたので残念ではあった。途中の接待所で四万十大橋への近道を通らず、海辺の景観が良いので敢て大廻りして行った方が良いとアドバイスを受けたので太平洋を左手に海岸沿いをひたすら歩くことにした。 断崖有り、岬有り、砂浜ありの変化に富んだ太平洋の表情が、長い道程を楽しいものに変えてくれる。鹿島の美しい海岸線、波風に削られた珍しい奇岩の風景、入野松原と讃えられる松林の群生など、潮風に吹かれて歩くすがすがしさは、歩き遍路ならではの醍醐味である。 延々と続く松林の群生を通り抜けるとヨットハーバーがあり、大きな公園やらリゾートホテルなどが現れた。海辺では若者たちがサーフィンを楽しんでおり、「エッ!今なん月?」って感じである。大廻りした甲斐が有ったというものである。 四万十大橋を渡りきった頃、昼時になり田舎作り風の小さなうどん屋に入り、女将さんのお勧めの「青さうどん・・・四万十川で採れる青海苔が一杯入っていた」とおいなりさんを戴いたが、中々の美味であった。
岩本寺を出て二日目に宿泊したのが「民宿 久百々(くもも)」である。 ここには故あって二日間お世話になる事となった。部屋が一杯であったので、食堂の横の12畳ほどのお座敷に泊めてもらう事になったのだが、とにかく女将さんは若くて元気が良い。食事の世話だけでなく笑顔を絶やさず遍路の話し相手になってくれる。 又、日々訪れる遍路さんたちの写真を撮って彼女のホームページ「久百々」:http://www5e.biglobe.ne.jp/~kumomo/ にアップしている。 ホームページの作成は日々のお遍路さんのお世話をしながら独学で作り上げたとの事で、本人は幼稚なホームページと謙遜するが立派なものである。私の宿泊時のスナップも2006年4月8日に一緒に宿泊した堀江さんと並んで掲載してくれている。
いよいよ、足摺岬を目指す。土佐清水市の市街から、足摺半島の東岸を海沿いに歩く。岩に打ち付ける荒々しい波を左手に見ながら、細くクネクネと曲がった道を進むと38番金剛福寺(こんごうふくじ)に到着。すっかり日に焼けて四国の最西南端にたどりついた私を、ウバメガシなどの熱帯植物とジョン万次郎像が迎えてくれた。 巡拝したあと、足摺岬展望台に立つ。遥かな水平線を望み、空も海も真っ青だ。岩礁に砕ける波がすさまじいしぶきをあげ、風浪の唸りがまわりに充満している。展望台から灯台をめぐる遊歩道を歩いたが、足元で砕ける波の凄さは男性的で豪快というより、恐怖が先にたつ。 自然への畏怖が心底から湧く。
先に故あって二泊と言ったのだが、38番札所から39番札所へは打ち戻りが最短であるため、二泊すことになったのだが、その日歩いた距離は43.13キロメートルと大変長く、重いリュックを民宿に預け、小型リュックを女将さんから借りて最低限のお参り用品のみを詰めての歩きであったのだが、距離的に大変きつく・・・さすがにフラフラで午後6時頃の民宿到着となった。
打ち戻りで「民宿 久百々」へ戻る途中、一服しようと接待所へ立ち寄ったところ、ローカルテレビ局である高知テレビが接待所のインタビューに来ていた。何故かわたしもインタビューを受けたのだが、ローカルであるので地元だけに放映されるとのことであった。
高知県最後の札所である39番延光寺(えんこうじ)を目指す。 「民宿 久百々」を出て、3キロメートルほど四万十方向へ戻り21号線に入る。終日21号線を目的地に向かって進むのだが杉林の覆った道が多く、車の通りも少なかったので遍路ウォークを楽しむ事が出来た。 三原村の休憩所で岩本寺の宿坊で一緒だった北海道から来た岡本さん夫婦と出会ったが、元気な奥さんで・・・奥さんが引っ張っての遍路行の様だが、ご主人の温厚さと懐の深さが推察され微笑ましいかぎりだ。抜きつ抜かれつで延光寺(えんこうじ)へ到着。 亀がシンボルという高知最後の札所で、寺は町中から少し離れているせいか、静けさの中にも南国らしい明るさを感じさせる。白衣に「亀」の印を捺してもらい、第20番札所である鶴林寺(かくりんじ)で「鶴」の朱印を捺していただいているので、鶴亀が揃った! これで少々長生きが出来そうである。
(奥村)
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