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ゆっくり遍路ひとり旅(5) 防風林の薮の中に懐かしいグミの実が・・・

片膝を曲げた大師像
 第25番・津照寺(シンショウジ)、第26番・金剛頂寺(コンゴウチョウジ)、第27番・神峰寺(コウノミネジ)と、春がすみの土佐湾に沿って国道55号線を西へ向かって歩く。神峰寺は標高600メートルの山中にある寺で寺への道は勾配がきつく幅も狭い。山道の最後の200メートルほどが「直っ縦(タテ)」とよばれる急坂だというので、少々怖気づいていた。花粉症マスクの影響もあってか息切れが激しく、しばしばマスクを外して深呼吸をして息を整えることとはなったが、犬山の鳩吹山と寂光院での登坂訓練の成果だろうか、それほどの苦痛ではなかった。仁王門をくぐった後も白岩とこんもりとした美しい庭の長い石段が続き「お迎え大師像」に・・・「ようこそ!」とお迎えいただいた。本堂の前に立つ弘法大師像は片膝を曲げ躍動感があり、大師堂手前の不動明王像も燃え立つ炎が印象的だった。

 下山途中に大阪の古市さんと出会いお互いの記念写真を撮ろうということになったが、彼は雨で濡れたベンチに薄いビニールの風呂敷をリュックのポケットから取り出し手際よく敷いてわたしを座らせてくれた。ここでも新しい知恵を戴いた。
 遍路はリュックに7キログラムほどの荷物を詰め込んで一日30キロメートル近く起伏に富んだ遍路道を歩くのだから荷物は当然軽い方が良い。
 遍路仲間と色々な情報交換をするわけだが、中には雨具として業務用のビニールのゴミ袋に顔を出す穴と手を出す穴を開けてレインコート(家庭用より大きくリュックも共に被せられる)として使っている(簡易ポンチョだ!)人には驚いた。

 抜きつ抜かれつの川崎市の堀江さんは3回目のお遍路とのことだが、わたしにその土地に触れ味わいながらのお遍路を教えてくれた人だ。その日宿泊する民宿なり旅館なり宿坊なりを2〜3日前に自分の歩くスピード、体調などと宿泊先の位置などと相談しながら決めるわけだが、初めの頃は宿泊先へ少しでも早くたどり着こうとする気持ちが、不安な為か大きく働き、ツイツイ急ぎ足となってしまい、当然まわりの景観なりその土地の文化に触れる機会を自ら逸してしまっている。
 毎日、朝7時頃に宿泊先を出発し夕方5時頃に次の宿泊先に到着すれば良いわけで、約10時間の時間が有るということを再確認する必要があるということである。
 お陰さまで遍路途上での人と人とのふれあいや、色々な文化に接する事を心がけるようにする事ができた。

 神峰寺から第28番・大日寺まで38.3キロメートルと距離はあるが、安芸市から夜須町までの15キロメートルは自転車専用道路で歩きやすかった。堤防と防風林の松林がつづく道のところどころに雑木の茂る薮があり、浜グミの実が赤く熟れていた。戦後の食糧難だった少年時代、父の妹の嫁ぎ先である田舎へ疎開していたのだがいつも腹を空かしていたから山道で熟れたグミの実をみつけると宝物でも発見したようにうれしかった。食べ物が豊かにあふれる昨今は、採って食べる人などいないようで、枝のあちこちに沢山の実が熟れたまま潮風にさらされている。わたしは掌にいっぱい摘み、ひと粒ひと粒愛しみ味わいながら歩いた。グミの実に含まれる有機酸は整腸作用があると聞いた記憶がある。舌先に残るかすかな渋みもなつかしい少年の日の味だった。

 しばらく進むと「あか(地名)の接待小屋」がわたしを迎えてくれた。神峰寺で掃除の奉仕をしておられた女性(栗山さん)の大工をしておられたご主人が亡くなられた後、その大工小屋を遍路へのお接待に供されているとの事が新聞や雑誌に取り上げられたことを民宿「きんしょう」の主人から聞いており、感慨深いものがあった。小屋の中はお遍路を元気付ける言葉が色紙などに書かれ、所狭しと貼ってある。お接待のお茶やコーヒー、そしてお菓子や果物が豊富に用意されており、ありがたく頂戴した。
 そこで自称乞食遍路だと称する五十がらみの男がわたしにトツトツと語りかけてきた。
 今まで色々な仕事に就いたが、自分が自閉症であるため、人との付き合いが上手く出来ず職場を点々とする人生となってしまったとのこと、今は自転車で遍路行脚をしてこれからの人生をどう生きていくかを探すキッカケにしたいとのこと、話しを聞いてあげたらボウボウとした髪の毛を掻きながら嬉しそうに出立していった。
(奥村)
不動明王像 あかの接待小屋 お迎え大師像