
最後の難関女体山を征服
国分寺町の宿を早朝に出発し、白峰に登っていくのだが、なんとか標高380メートルの第81番白峯寺(しろみねじ)と第82番根香寺(ねごろじ)の尾根の中間点に達する。 まずは、険しい上り下りの末2.8キロメートル先の白峯寺を目指す。 巡拝が済むと今来た険しい道を逆戻りして先ほどの中間点を過ぎ、新たに2.2キロメートル先の根香寺を目指す事になるのだが、これを称して「19丁打戻」というらしい・・・これも試練なのだ。 地獄の釜の煮えたぎる音が聞こえるという第83番一宮寺の小さな石の祠には、わたしも首を突っ込んでみた。たしかに何の音やら「ゴホゴホ」とも「グツグツ」とも聞こえる音が、地底の遠くからひびいてくる。近くに天然温泉があるから、地下水の流れる音かもしれないが正体は不明。 その日は「天然温泉きらら」に宿泊・・・ここは、宿泊棟は別にあって・・・温泉は、サウナもありの小牧のスパガーラと同じで久しぶりに、ゆっくりと入浴する事ができた。
高松市内に入り第84番屋島寺へ向かっていると民宿岡田でご一緒した藤田さんが新しい遍路友達を連れて歩いており、その友達の足が遅いお陰でわたしと抜きつ抜かれつとなった。どうも三重県の職場での友達らしい・・・歩き遍路を経験させるべく高松まで呼び出し高野山までの4日間ほどの遍路経験をさせる為だったらしい。 その日の宿こそ別々であったが、翌日の朝歩いていると目の前に二人が歩いており、ご一緒することとなった。
10時半頃には、前山ダム横にある「おへんろ交流センター」に到着した。 ここで、歩き遍路は「四国八十八ヶ所遍路大使任命書」をもらうのだが、その任命書には「貴方は四国八十八ヶ所歩き遍路約1,200qを完歩され、四国の自然、文化、人との触れ合いを体験されたので、これを証すると共に四国遍路文化を多くの人に広める遍路大使に任命いたします。」とあった。 このへんろセンターで茶菓の接待をしていただいたのが秋友京子さんだが、大変気さくな方で楽しいくつろぎの時間を過ごさせていただくことが出来た。「さぁ、これから最後の難関・女体山の登坂ですヨ!」と言われたので「女体・・・なんて聞くと何かモヤモヤしてしまいますヨ!」とわたしが言うと「マダマダあなたは修行が足りません」と一喝されてしまった。帰宅後に一緒に撮った写真を送ってさしあげたのだが、お礼の手紙に「女体山に這いつくばって越えた感想はいかがでしたか、煩悩は消えたかしら?また四国に行きたいと思ったらいつでもいらして下さい、待ってまーす。」とあった。
やはり、最後の難関であった・・・喘ぎあえぎ、滴り落ちる汗を拭いながらの登坂となり、岩場を這いつくばって登りきったところに、藤田さんがニコっと笑ってカメラを構えていた。帰宅後に送っていただいた写真は、とても恍惚とはいえない苦痛の形相であったが、「ヤッタ!」という満足感が現れていた。
そして、最後の坂をあがったわたしの前に、第88番・大窪寺の仁王門が現れた。 結願の寺は新緑に包まれ、白衣を着た遍路の姿があちこちに見られた。わたしは最後の歩みをたしかめるように、仁王門で一礼し、境内に入った、丁度4時だった。 一昨年の3月28日に第1番札所霊山寺をうってから44日目、室戸岬、松山の鷹の子温泉、善通寺で休養日をとり、ゆっくり歩いた遍路の旅の終着点である。
四国の人たちの「眼に見える親切」「眼に見えない親切」に支えられて歩いた四十余日であった。自宅からの往復の日程と高野山参りを入れると延べ51日間と二ヶ月近い日数を費やし、ひとりで、それも二本の足だけを頼りに歩いた旅は、67年の人生で初めての体験。 わたしは大窪寺の本堂で、大師堂で、これまでよりゆっくりしたリズムで般若心経を唱えた。体の底から湧きあがってくる満足感をじっくり噛みしめていた。
(奥村)
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