
観自在寺 十二支守本尊八体仏
次の第40番観自在寺(かんじざいじ)まで30キロメートル近い。 早朝に宿を出て宿毛(すくも)市内をぬけ、松尾峠を越えていよいよ菩提の道場、伊予の国愛媛県に入った。 菩提(ぼだい)とは、煩悩を断って悟りを得て、極楽往生へと至ること・・・・とあるが、俗人である私には煩悩を断つ事は難しく、極楽浄土への道は遠い様である。 情緒のある古い町並み、湯の町を訪ねゆくのどかな伊予の道のりはそんな無上の境地へと続いていくと言う。期待を漲らせてゆっくり遍路ひとり旅を続けるのだが、足の裏が痛くてしようがなかったのが、ひと晩寝て翌日歩き始めると不思議と痛みが飛んで行ってしまい、スムーズに足が動くから不思議である。ただ足を高くあげられなくなっている様で、石や根っこにつまづく回数が増えてきた。
観自在寺は第1番の霊山寺から最も遠い寺なので、「四国霊場の裏関所」とも呼ばれる名刹。狭い参道の両側に並ぶ古い商店の町並みには、平城、嵯峨天皇の信仰篤い門前町として栄えた歴史の名残りが漂っている。その門前の山代屋旅館に宿泊したのだが、今回の遍路旅で始めて夕食に牛肉とごぼうの煮付けにありつけた。
第41番龍光寺(りゅうこうじ)までは、柏坂を越え、津島町、宇和島市、三間町を通る50キロメートル二日間の道のりであり、ユッタリ二日間日程を組むことにした。ネットの仲間である山田荘三郎氏(彼は宇和島の出身である)の勧めもあり、ぜひとも「柏へんろ道」を歩こうと計画したのだが・・・。
坂越えの山道には、野口雨情の「松の並木の あの柏坂 幾度涙で、越えたやら」など歌碑がいくつもあり、景観も素晴らしいと聞いていたので登りたい一心だったが、旅館の亭主は昨夜来の大雨で滑りやすくなっており危険だから止めろという。止む無く国道56号を歩く事になった。
朝から雨そのものは小降りとなっていたのだが、海岸の突風は台風並みで風速15〜20メートル近く、お腹の出た重いこの私の身体が吹き飛ばされそうになり、必死の思いで歩いていると、国道沿いの愛南町にある「ゆらり内海」なる温泉施設に出くわした。これも難渋しているわたくしを大師が導いて下さったものと感謝し、深層水温泉、サウナ、水風呂、ジャグジー風呂と疲れを癒し美味しい食事と・・・思いがぬ至福のひと時を過ごす事が出来た。 外の突風はありがたいことに凪いでいた。
龍光寺から第42番仏木寺(ぶつもくじ)への県道31号線の歩道には、2キロメートルにわたって、赤、白、黄のチューリップが咲いていた。近くの小学校の児童たちが植えたもので、まさにチューリップ街道。秋にはこれがコスモスに変わってコスモス街道になるらしい。 集団登校の児童たちが大きな声で「おはようございます」と挨拶する。こちらも負けずに、大きな声で答える。
翌日、ちょっとした難所といわれていた「歯長峠」を覚悟して一気に登りきると国道57号に出た。しばらく進んだところでとへんろ道案内を見ると「急激な登りだが是非とも頑張れ!」とタテ看板に表示してある。 200メートルばかりの急激な登り坂(角度がかなり急でありクサリがつけられていた)を10メートルほど進んではハァーハァーと息を整えヤッとのことで登りきった。 以後まだまだの坂道が続いたが、それは大したことも無く、その後の下り坂が問題であった。雨の後でもあり滑りやすく坂も急なため何度も冷や汗をかきながらも苦労の末、第43番明石寺(めいせきじ)に到着。
記念として卯年の私の守り本尊である文殊菩薩の数珠を購入。箱の説明書きには「吉兆を意味し普遍の知恵をつかさどります文殊菩薩は公平無視の広い心をもって人々に永遠の幸福と悟りの知恵を授けんと致します」とある。 ご利益がありますよう改めて祈念し、第二回目の3週間にわたる遍路旅の最終を無事迎えることが出来た。
「南無大師遍照金剛」
(奥村)
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