
鶴林寺の観音像
「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と遍路を泣かせた「阿波の三難所」。 昔の人は、編路道の険しさをそのようにランク付けをしたらしい。第二十番鶴林寺、第二十一番太龍寺の道は急坂できびしいことに変わりはないが、焼山寺にくらべれば辛さ、苦しさとも半分以下といえる。山頂まで約4キロメートルの急勾配の山道。山岳霊場の面影が色濃く漂う境内はうっそうとした老杉や檜に覆われている。弘法大師の合掌した手に鶴が舞い降りたという言い伝えから鶴林寺の名が・・・、 鶴林寺での参拝の証にいただくご宝印は、本尊に「鶴」の姿が入った朱印だ。これに対し「亀」の朱印を捺してくれるのが土佐の三十九番延光寺、鶴と亀とを一緒に並べると縁起がよく長生きが出来るという。無論わたしも白衣に「鶴」の朱印をいただいた。
太龍寺へ登る潅木の茂った山かげの道や谷筋の狭い道には、行き倒れの遍路の小さな墓石がいくつもあった。その一つ、江戸時代末期の安政五年と刻まれた石は「播磨国××村千種屋常吉娘十七」と読めた。どんな事情があって遍路に出たのか知らないが、激しい疲労と飢餓の中で体力を使いはたして倒れたのだろう。薮椿の赤い花片が血痕のように山道を染めている。十七歳の娘というのが哀れで、わたしは合掌して過ぎた。
太龍寺から第二十二番平等寺への途中で、急に天候が悪くなった。黒い雲が上空を覆って、あたりは次第に薄暗くなってくる。ゴロゴロと雷鳴が轟き、大粒の雨が落ちてきた。道傍のわずかな木陰で雨をしのぎながら、あわただしく雨衣を身につける。道は間もなく車道から林道に入った。遍路マークの道しるべに従って、深い杉林の小径を登る。大きく茂った杉の枝葉が雨よけになり強い雨は避けられたが、V字の谷道はたちまち小さな川になった。暗い梢の空を稲妻がはしり、頭上で雷が鳴る。こんな山の中で落雷にあったら、助けを呼ぶにも人はいない。倒木をまたぎ、大きな石や木の根伝いに登り、峠に近い岩かげに身を避けたが、靴の中までびしょ濡れに濡れていた。激しい雷雨は三十分ほどで遠ざかったからよかったものの、山道での雷雨の怖さには肝を冷やした。
遍路にとっては雨が一番の大敵。とくに雷雨は叩き付けるような大粒の雨になるから、避難小屋のない山道では恐怖だ。谷筋の道では上方で降った雨があつまり濁流になったりするから危険である。このときの足のふやけが原因だろうが、それまでテーピングテープでしっかりガードしていた両足にマメができた。親指の付け根、指と指の間に大きな水脹れができている。潰すと痛いから、仲良くつきあうしかない。 糸を通した縫い針の先をライターの火で焼いて消毒し、水脹れに糸を通して短く切る。そうすることで内部の水分を毛細管現象の原理で外部に導く、そのあと赤チンを流して消毒し、カットテープで保護する。歩き遍路は足が命だから、マメ対策はマメにやらないとマメを作って痛い目にあう。 とにかく悪戦苦闘の末、菱谷さんと民宿「山茶花」にたどりついた。
夕食の時に食堂へ行くと焼山寺で分かれた橋本泰子さんと堀江偲さん、中敦子さんが楽しそうに歓談していた。三人とも焼山寺でバテてしまい、中さんのチャーターしたタクシーに便乗しての巡拝となったようである。橋本さんはハイキング経験など乏しい様で可なりの疲労をしており、中さんのタクシー遍路に便乗させてもらうことが救いの神であったようで、最初こそはバツの悪そうな顔をしていたが疲労の色は失せて溌剌とした女の子の顔になっていた。
(奥村)
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